2014年3月8日土曜日

神々とは?番外編w

下記のコメントを頂きましたので

http://uranaieishu.blogspot.jp/2014/02/blog-post_27.html#comments

般若心経の黄金比とか

知りませんでしたが、勿論目とは繋がっているんですね。

http://s.webry.info/sp/bloom.at.webry.info/201203/article_3.html
驚くべきことに、
底辺230mのピラミッド=底辺23文字
であり、長さ・高さの比は黄金比でピラミッドと完全に一致する。

しかも、般若心経の中に使用されている「空」の文字は7文字で
空のある位置関係は北極星の真上に位置した「北斗七星」と形が相似している。


そしてピラミッドの中心部の「棺のある部屋」には「如○空」(空の如し)と一致し、
位置的には「北極星」を意味している。

私はこの偶然を非常に美しいことと思えるし、
それ以上に、心経が「不可思議な力」を持つ「特別なお経」である事を疑うことが出来ない。

このような幾何学的な偶然が意図的に為されたと考えるのは考え難い訳であるが、
重要な事は、「あり得ない偶然」には「秘密」があると考えるべきで、
これはつまり、般若心経というのは「魔方陣」であり「曼荼羅」であるのだ。

そして般若心経の本来の形は、ピラミッド型に書くことであり、
ピラミッド型に書いた般若心経は隠された本来の力を顕す。

ピラミッド曼陀羅の般若心経は本来の力を発揮する。
その力は何かというと、それは「北斗七星」の力であります。

ちなみに、般若心経の現れた「空」の文字による北斗七星の形は
「北極星の真上にある状態の北斗七星」であります。


北斗七星の力とは何かというと、
古来より中国では、破軍星と呼ばれ、
破軍星を背にして戦うと必ず勝利するという言われる。
参照:西野神社勝負事に勝つ星

戊辰戦争において酒井玄蕃率いる庄内藩二番大隊が掲げた軍旗「破軍星旗」
とは、北斗七星を逆さに描いたもので必勝の軍旗であります。
つまり北斗七星の力とは、「守護」と「必勝」であります。

又、あまり知られていませんが、
北斗七星は、6月6日午後6時に北極星の真上にくるのです。

つまり
6月6日午後6時に北斗七星は宇宙一番の力を持つのです。
旧約聖書で「頭に666の験がある者」とは北斗七星のことである。

そして、まさに心経曼陀羅の形は、北極星の真上に来た状態の北斗七星の形をしているのです。

従って、護身や必勝祈願には、般若心経は最強の力を発揮してくれる呪文であり、
古来より、宗派を問わず尊ばれた「経」である根拠でありましょう。

以上が般若心経が有り難しお経である魔術的な根拠であります。

ところで、般若心経は、
宗派によって呼び方は様々あり、仏説摩訶般若波羅蜜多心経、
摩訶般若波羅蜜多心経、般若波羅蜜多心経と言い
文字数も262文字、266文字、276文字など、
どれが正しいのかという疑問が昔から言われるけれども、
ピラミッド型になる276文字の般若心経が正しい心経であることが判ると思う。

キーワードは、般若心経と北斗七星、仏陀、ピラミッドと魔法陣
666
こんな感じですかね。

般若心経は真言で波動ですよね。こういった波動は各チャクラと連動していて
チャクラに波動を与えて活性化させたりするわけです。


キリスト教ではアベマリアとかがこの真言になり
除霊とかでよく使われるのが、光明の真言とかですかね。

で、北斗七星ですが、これは日本と深く関係しています。
ケンシロウではないです。

日本で北斗七星と言えば、妙見信仰にあたります。



妙見信仰は書いて字のごとく
妙 を 見る と書きます。
善悪を見渡す
妙を見る
即ち
万物を見渡す目
そう、プロビデンスの目を事なんです。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9
妙見信仰は、古代バビロニアにはじまりインドを経て、中国で仏教と道教と習合し、仏教と共に日本に伝来したという。[1][2]
菩薩」とは、本来サンスクリットの「ボーディ・サットヴァ」の音写で、「悟り(真理)を求める者」の意であり、十界では上位である四聖(仏・菩薩声聞縁覚)の一つだが、妙見菩薩は他のインド由来の菩薩とは異なり、中国の星宿思想から北極星を神格化したものであることから、通常は大黒天毘沙門天弁才天と同じ天部に分類されている。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9
日本で重要文化財に指定されている妙見菩薩の彫像は、読売新聞社所有(よみうりランド内聖地公園保管)の1体のみである。この像は、正安3年(1301年)の銘があり、もと伊勢神宮外宮の妙見堂にあったものとされる。しかし、この像は甲冑を着け、右手に剣を持ち、頭髪を美豆良(みずら)に結った特殊な像容を示し、所伝とおり妙見菩薩と呼ぶべきかどうか若干疑問の残るものである。
また、中世においては千葉氏九戸氏が妙見菩薩を一族の守り神としており、千葉氏の氏神とされる千葉市にある千葉神社では今日でも妙見菩薩と同一と見なされている天之御中主神を祭神としている。これは、明治維新の際の神仏分離令によって、「菩薩」を公然と祀れなくなってしまった為に採られた措置である。 同様の経緯による神社化は、岩手県奥州市にある日高神社や九戸氏の氏神とされている岩手県九戸郡にある九戸神社大阪府星田妙見宮秩父市秩父神社千葉県君津市の人見神社、埼玉県飯能市の喜多川神社、茨城県竜ケ崎市の星宮神社および我野神社(あがのじんじゃ)の例など多数ある。
なお、千葉神社(当時の「千葉妙見宮」)は源頼朝から崇拝を受けた。また、日蓮も重んじており、この縁により妙見菩薩が日蓮宗寺院に祀られることが多い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9
古代中国の思想では、北極星北辰とも言う)は天帝(天皇大帝)と見なされた。これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、妙見菩薩と称するようになった。「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである。七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経には「我れ、北辰菩薩にして名づけて妙見という。今、神呪を説きて諸の国土を擁護せんと欲す」とある。

ちなみに私の氏神様はここです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B9%8B%E5%BE%A1%E4%B8%AD%E4%B8%BB%E7%A5%9E

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ursa_Major_constellation_detail_map.PNG

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%97%E4%B8%83%E6%98%9F

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8A%E3%81%90%E3%81%BE%E5%BA%A7%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%BF%E6%98%9F

Eta Ursae Majoris、略称は η UMa。別名アルカイド (Alkaid) は「先頭の娘」という意味をもつアラビア語が語源で、ベネトナシュ(Benetnasch)は「大きい棺台の娘達の長」を意味するアラビア語の K.a_'id Bana_t al Na'ash(カイド・バナト・アル・ナアシュ)を語源とする。どちらも北斗七星のうち、α星β星γ星δ星が形作る四角形を棺台に見立て、ε星ζ星、η星を、棺台を引く娘たちと見立てたことに由来する[4]リチャード・ヒンクリー・アレンは、ポラリス(現在の北極星)の近くを取り囲む星々はベネトナシュの娘たちであり、北極星の周りを周回する星は、厳かな動きをしていると考えられているとしている[5][6]
また、中国では『史光記』の「天官書」での名は揺光密教経典『仏説北斗七星延命経』では破軍はぐん)である。この星の守護を得ると、戦に勝てると信じられていた。または、単に北斗七とすることもある[7]


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%80
アル=カーイダアラビア語القاعدة‎、翻字: al-qāʿidah英語Al-Qaeda)は、イスラム主義を標榜するスンナ派ムスリムを主体とした国際的なネットワーク、思想、運動。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%80




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%9B%AE
ホルスの目(ホルスのめ)[1] は古代エジプトのシンボル。初期には、ウァジェト(ウジャト)の目、月の目、また後にはラーの目とも呼ばれた[2]ウァジェトとは、コブラの姿、あるいは、頭上にコブラをつけた女性の姿で描かれる、下エジプトの守護女神。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%9B%AE
古代エジプトのホルス神はハヤブサの頭部を持つ太陽と天空の神で、その右目は太陽を、その左目は月を象徴していた。
ホルス神の左目である「ウァジェトの目」は、ホルス神が父オシリス神の敵であるセト神を討つ時に奪われた。
処方箋のシンボルであるRxマークとの関連性も指摘される。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%88
ウアジェト(Wadjet、ウジャトとも)は古代エジプト神話の女神。名前は、コブラの皮のように彩色されたパピルスを意味し、コブラの姿、あるいは、頭上にコブラをつけた女性の姿で描かれる。湿地のためにコブラが多く生息していた下エジプトの守護女神とされ、上エジプトを守護するネクベト女神とともに、ファラオを守護するとされた。
エジプトと言えば多くの思い浮かべるであろう目の図柄は、「ウアジェトの目」と言われる。これは、ホルスが父オシリスの敵セトを討つ時に奪われた左目のことである。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%95
アッラーフの語源については二つの説が有力である。両説とも英語の God に相当する普通名詞が固有名詞化した、という説である。
  • 「崇められるもの」を意味する普通名詞イラーフ (إلهilāh) に定冠詞アル (الal) を付けたアル・イラーフ (الإله) が短縮されたものであるという説。19世紀末にドイツの聖書学ユリウス・ヴェルハウゼン (Julius Wellhausen) が唱えた。この説はムスリムに受けがよく[要出典]、今日しばしば見聞きする解釈である。また、イラーフ (إلهilāh) の綴りは声門閉鎖音である ء‎ (ハムザ)を打たない場合、アラビア語の語法では定冠詞アル(ال, al) が付くと語頭の (a) の音価を持つ ا は欠如することとなる(これをハムザトゥ・ル・ワスルと呼ぶ)。この結果がアッラーフ (أللهAllâh) であるとも考えられる。
  • シリア語アラム語の方言)で神を表すアラーハー (alāhā) が訛ったものという説。非ムスリム系学者に支持されている説である[要出典]。また、考古学的にもこの説が支持されている[要出典]。また、アラム語と同系とされるヘブライ語で神を示すエロアーハー (Eloah, אלוה‎) も同語源と考えられる。エロヒム(אלהים)はアラハヤム(アラー)とも読める。また、ヘブライ語ではエジプトの太陽神のことをアラー(אל)と表記する。なお、イスラム教関連の書籍などで、「アッラーの神」という表記がされることがあるが、“アッラー(アッラーフ)”が神そのものを表すのでこれは誤りであり、さらにアッラーほとんど別概念のため、ふさわしいとはいえない。

  • http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%95
  • 元来、アラビア語でアッラーフは英語でいう God である。そのため、現在ではアブラハムの一神教といわれるユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の共通の唯一絶対神を指す。ちなみにアラブ地域の聖書ではヤハウェを「アッラーフ」と表記している。


マホメット

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%83%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%95
ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ - Wikipedia via kwout

 バビロニア ティアマット


バビロニア マルドゥク

と繋がってくるのですが・・・


何故か日本でヒーローの

坂本龍馬とかにも

繋がるわけです。

信仰でしょうね。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E8%BE%B0%E4%B8%80%E5%88%80%E6%B5%81
剣術と長刀兵法(薙刀術)からなる。千葉家の家伝であった北辰夢想流と、千葉周作が修行した中西派一刀流を統合して北辰一刀流が創始されたとされるが、剣術の組太刀()は中西派一刀流のものとほぼ同じ[1][2]であり、北辰夢想流の影響はあまり見られない。千葉周作が加えた極意の星王剣(星王とは北極星のこと)に千葉家の北辰信仰の影響がわずかに見られる程度である。竹刀防具を用いた打ち込み稽古を中心に行い、現代剣道に最も近い古流と評される[3][4]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E9%A6%AC
小栗流目録を得た嘉永6年(1853年)、龍馬は剣術修行のための1年間の江戸自費遊学を藩に願い出て許された。出立に際して龍馬は父・八平から「修業中心得大意」[14]を授けられ、溝渕広之丞とともに土佐を出立した。4月頃に江戸に到着し、築地の中屋敷[15](または鍛冶橋の土佐藩上屋敷[6])に寄宿し、北辰一刀流桶町千葉道場(現: 東京都中央区)の門人となる。道場主の千葉定吉は北辰一刀流創始者千葉周作の弟で、その道場は「小千葉」または「桶町千葉」として知られ、周作の「玄武館」(大千葉)とは別である。道場には定吉の他に長男・重太郎と3人の娘(その内一人は龍馬の婚約者と言われるさな子)がいた。ただし、汗血千里駒では坂本龍馬は千葉周作の門人としており[16]、千葉定吉の道場が嘉永6年の時点には桶町に道場がなかったことから2度目の遊学時に千葉定吉道場の門下になったのではと疑問視されている[17]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E9%A6%AC
坂本 龍馬(さかもと りょうま、天保6年11月15日1836年1月3日) - 慶応3年11月15日1867年12月10日))は、江戸時代末期志士土佐藩郷士
直陰(なおかげ)、のちに直柔(なおなり)。通称は龍馬[1]。 他に才谷 梅太郎(さいたに うめたろう、さいだに うめたろう)などの変名がある (手紙と変名の項を参照)。
土佐郷士に生まれ、脱藩した後は志士として活動し、貿易会社と政治組織を兼ねた山社中(後の援隊)を結成した。薩長同盟の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど倒幕および明治維新に影響を与えた。大政奉還成立の1ヶ月後に近江屋事件で暗殺された。1891年(明治24年)4月8日、正四位追贈される。


2 件のコメント:

  1. 記事とり上げていただき有り難う御座います(^^)
    妙見菩薩は知りませんでした。
    深いところまで調べないと、点と点が繋がらなかったので、今回は新しい発見です。

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  2. 繋がって良かったですね^^
    点と点が繋がって線になって行くとスッキリしますよね。
    又興味深い記事あれば教えてください。

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