2015年8月15日土曜日

戦後70年談話

「戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」

 戦後70年の安倍晋三首相談話はこう強調する。安倍は常々、周囲に「謝罪外交に終止符を打ちたい」と語っており、文言にはその思いが表れている。戦後50年の村山富市首相談話などにはなかった新しい視点だ。

 日本は戦後処理をめぐって、同じ敗戦国であるドイツとよく比較されてきた。ドイツは誠意をもって謝罪したため周辺国との和解を成し遂げたが、日本は十分に謝罪しなかったため失敗したとの文脈でだ。そうした場合に度々引用されてきたのが、西ドイツ大統領、ワイツゼッカーが1985年に行った有名な演説「荒れ野の40年」だ。だが実際にはワイツゼッカーは演説で謝罪はしていない。逆に次のように指摘している。

 「自らが手を下してはいない行為について自らの罪を告白することはできません」「ドイツ人であるというだけの理由で、粗布の質素な服を身にまとって悔い改めるのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません」

 安倍は謝罪の繰り返しにけりをつけることに関して、14日の記者会見でこう語った。

 「これは今を生きる私たちの世代の責任だ。そういう思いを盛り込んだ」

 談話のもう一つ新しい点は、村山談話などに全く見られなかった過去の日本が置かれた国際情勢の分析・言及だ。70年談話に関する有識者会議「21世紀構想懇談会」が6日に提出した報告書を基にしたもので、例えばこう説いている。

 「欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。日本は、孤立感を深め、(中略)行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました」

 日本が「進むべき針路」を誤り、それが敗戦につながったことは直視しつつも、ある日突然、軍国主義の怪物国家となったかのような説明不足の過去の首相談話とは一線を画した。

 中国や韓国が注目した「侵略」「植民地支配」「お詫び」「反省」のいわゆるキーワードは入れたが、対象を直接的に書かずに一般論として引用した。

 安倍は当初、談話に「侵略」を書き込むことに消極的だったが、21世紀懇の報告書に「侵略」が明記されたことから盛り込むことにした。政府高官は「侵略の定義は専門家でも意見が分かれるが、過去の日本の行為が国際社会で侵略と評価されたことがあるのは事実だ」と説明する。

 「侵略」などの文言使用に反対してきた保守層からも、「今の日本が置かれた状況を考えると許容範囲だ」との声が出ている。

 談話は官僚が下書きしたものではなく「首相の肉筆だ」(別の政府高官)とされる。作成に当たり安倍は21世紀懇の報告書や何冊もの歴史書を丹念に読んだ。

 同時に自ら調整にあたり、7日には公明党代表、山口那津男から歴代談話の継承を求める同党の要望を直接聞いた。山口は14日、数日前に安倍から連絡があったことを明らかにし「結果を尊重したい」と述べた。会見で安倍は「談話では、より多くの国民に賛同してもらえるものを作成したいと考えた」と語った。

 先の政府高官は安倍の思いを代弁する。

 「一度に満点はとれない。歴史認識で日本は一方的に押し込まれていたが、この談話を押し戻すきっかけにする」

(敬称略)

http://www.sankei.com/smp/premium/news/150815/prm1508150035-s.html

(榮)これこそ日本国民が待ち望んでいた談話じゃないのでしょうか?
そもそも戦勝国家アメリカが今回の談話を評価しているのに、当時は同じ日本国民であった韓国がとやかく言う筋合いのモノはないでしょう。親戚や親が犯した罪を何代も継承しないといけないのでしょうか?
当時の軍部が暴走したのは明らかであり、その為に多くの命を犠牲にしたのです。韓国や中国も日本が悪い悪いと言うのではなく、当時の軍が悪かったと言えばいいのですが、明らかに現在の日本人にたいしても罪の意識を持たせようとしています。それってどうなのでしょうか。

1 件のコメント:

  1. 榮周さんの意見に全く同感です。私は海外生活をしていますが、日本人のイルカ殺し問題で、良く外国人とのディスカッションで責められます。しかし私自身がイルカを浜に追い込んで殺している訳でもありませんので、そこで私見を問われることは結構ですが、責められることはたまりません。戦争についてもそうですが、その問題人物と同国人と言うだけで、行き場の無い己の怒りやフラストレーションをぶつけているだけの行為としか思えず、フェアープレイとは思えません。

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